方法は様々 SAGSも一つの方法
まず最初にあなたへお伝えしておくことが一つ有る。これから書いていく一連の記事は、殆どが過去に書いたことの焼き直しである。ここではいくら頑張ってもアクセス数が伸びないので、そのリライト版をNOTEに投稿していることをお伝えしておく。
前回、ギャンブルに依存する原因について書かせていただいた。おそらく、医療関係者や自助グループ参加者さんなど、記事の内容について眉をひそめておられる方が多いだろう。
実際、我々SAGSにおいてはこれまで、「様々な方たち」から「数々のご意見」を頂戴してきた。コミュニティーに匿名で爆撃を受けたり、掲示板に乗り込んでディスられたり、私の携帯電話番号を突き止めて、通話料まで負担してお説教してくださる「奇特な方」まで居られた。
他の団体から「あんたのやっている活動は無意味だ。やめなさい」「参加者達は我々が引き受けるから、すぐに散会しなさい」などと言われたり、自助グループ関係者から「断ギャンブル日数のカウントは、参加者の意思を削ぐだけです。無意味です」と批判されたり、まあいろいろとあった。
我々団体のコンテンツが飛び抜けて優秀とは言わないが、正直なところ医療や施設や自助グループなど、他の方法と遜色ない結果は残せているように感じる。ようは、問題を解決する方法はいろいろと存在し、本人さんが決めれば良いのである。
もうひとつ言えば、「ギャンブル依存症は脳内麻薬が原因です だからすぐに医療につながりなさい」だけでは、全ての悩みにコミットすることはできない。勇気を出して病院の扉を叩いた結果、「他に趣味は持てないんですかね」とか、「ちゃんと仕事していれば、時間を持て余しませんよ」とか、「GAにつながりなさい。それしかありません」とか言われただけでおしまいといった方が、SAGSの参加者さんたちの中には大勢いる。
私がここでギャンブル依存症関係の記事を書くのは、自らの力で問題解決したい方の為に一つの選択肢を紹介するためである。これまでにいろいろな「ご意見」は頂戴したものの、他の方法や医療を否定するものではない。
このあたりのことをご同意の上で、読み進めていただきたい。以下、SAGSの理念をリンクしておく。
依存したら 自分を信じてはならない
ギャンブルに依存して、自分のことが信じられなくなったり嫌いになったりする方が多い。実はこの現象は理にかなっている。良心がまだ心の中に残っているからこそ、後悔したり自分を責めたりといった行動をとるのである。
だが、ここで私はひとこと申し上げたい。ギャンブルに依存したら、自分のことを信用しないのが賢明な選択だ。なぜなら、ギャンブル依存症が心の力を奪うからである。
このことは何でもかんでも自分のことを信じるなということでは無く、「ギャンブルというフィールド内にいる自分を信用するな」ということである。これはどういったことか?
それは、「依存した限り、心の力だけで問題解決しようとするのは難しい」ということである。根性や気力で問題解決するなら、殆どの人が依存問題で悩む必要など無いのである。あなた、そう思われませんか? だって、堕落していろいろなことのヤル気を削ぐのがギャンブル依存症という心の病でしょ。
負けてボロボロになり、「もうするもんか」と涙目になっているときの自分でさえも信用してはならない。経験者なら分かるだろうが、明日になれば、またムラムラとバクチのことを考え始めるのが常だ。心の力が弱った人が、根性やヤル気・気力で問題を解決することなどそもそも不可能なのである。
悔しさはブレーキにならない
私はこれまで長年パチンコとスロットをし、様々なシーンに出会ってきた。
悔しさのあまりパチンコ台を叩き続けた老婆や、スロットマシンを蹴って破壊し機械室に連れ込まれた男、パチンコ機のガラスをたたき割って逃げ、外で店員に取り押さえられた女など、パチンコやスロットの負債が原因で感情を抑えきれなくなった人たちに多く接してきた。
そういった人たちには一定の特徴が有る。それはそういった事件があっても、翌日には何食わぬ顔で機械の前に座っていたという事実である。
負けた悔しさはブレーキにならない。バクチのブレーキは、その人の意思や心の力ではない。バクチを確実に止めるのは、「遊戯する金が無くなる」という物理的要因つまり「金銭の底突き」だけなのである。
信じて良いのは
ではギャンブルに依存したら、何を信じて過ごせば良いのだろうか? 幸いなことに、信じて良い物が一つだけ存在する。
信じて良いのは、「あなたが積み重ねてきた断ギャンブル日数」だけといえる。その日数が長くなれば長くなるだけ、信憑性は増していくのである。
「ギャンブルをやめるのに、断ギャンブル日数を積み重ねろなんて、本末転倒じゃ無いか!」と考えられる方も居られるだろう。だがデトックスは必要だ。薬物依存やアルコール依存になった人が真っ先に行うのは、依存の対象と切れてしまうことである。
しかも、「対策を取りながら断ギャンブル日数を積み重ねる」ことには大きな意味がある。
例えば1週間の断ギャンブルを達成するためには、1回の週末を乗り越えなければならない。1ヶ月の断ギャンブルを達成するためには、最低3回の週末と1回の給料日を乗り越える必要がある。
そういった期間を全うするためには、それなりの方法と準備が必要だ。これは、たとえ医療にかかっていても施設に入所しようとも自助グループにつながっていても、同じ事だと言えるだろう。
簡単な話、財布の中に万札を忍ばせておくという行為をやめない限り、必ずスリップする。あなたのスマホにパチ屋からのメールが届く状況では、いつ誘惑に負けるか分からない。大切そうに貯玉の入ったカードを札入れに忍ばせているようでは、いつかそれを使いに行くことになるだろう。
我々が信じて実行すべきことは、「衝動に備えて断ギャンブル日数を積み重ねる」ただそれだけである。ただし、この「衝動に備えて」って部分に、工夫が必要なわけだ。(続く)