それでは、「すべきこと」とは一体誰に教えてもらえば良いのだろうか? 答えは簡単だ。成功している人から聞けば良い。
では、「してはならないこと」は、どうやって知れば良いか? ご察しの通り、失敗した人から学べば良い。というか、失敗した人のマネをしなければよいわけである。
そういった成功例と失敗例が常に交錯しているのが、自助グループやWEB上の掲示板といったことになるだろう。
そのような場に参加せず、自分一人の力で克服を目指すというのは至極困難である。これは、十数回のスリップを経験してきた私だからこそ言えることだ。
ギャンブル依存症の克服とは
ここで少し、ギャンブル依存症の克服とは何かお話しておこう。我々SAGSでは、究極の問題解決を「克服」と呼び、次のように定義している。テキストをお持ちの方は、「克服とは」と検索すれば随所でHITするだろう。
・おおよそ断ギャンブル達成後3年以上が経過した
・ギャンブルしなくても苦痛ではない
・日常的に衝動に襲われることがない
・ギャンブル中心の生活環境と生活習慣を改善した
・金銭感覚が回復している
・孤独でない人生を送ることができている
・社会復帰できている
この「克服」という言葉だが、自助グループなどでは「回復」と呼んでいる。同じようなことなので、深く考えなくてもよいだろう。ようは、ギャンブルすることをあきらめて、苦痛なくやめられている状態である。
克服とは単にやらないだけではない。実は簡単なようで、難しい部分でもある。実際にこのあたりのことを理解できていない方が、けっこう居られる。
「やめかた」の段階説
ここで、「ギャンブルをやめる」ということの段階について書いておこう。パチンコを例に挙げて次のように分類すれば、意外とわかりやすい。
節パチ 卒パチ 禁パチ 断パチ 無パチ 空パチ
既にお分かりと思うが、やめ方というか心構えが左に行くほど曖昧で脆弱である。
「節パチ」とは、やめるというよりは、むしろ「行く頻度を少なくする」程度のものである。ヤル気とおよそ縁が無い状態と言える。
「卒パチ」に突っ込みを入れるならば、「ギャンブルは、なかなか卒業させてくれない」ということが挙げられる。主催者だって生活がかかっているわけだから当然だろう。
「禁パチ」とは、自主的にやめるというよりは「誰かに禁じられたので、やれない」というニュアンスが強い言葉だ。自主性に乏しい。
「断パチ」は我々が目指すところであり、その頂点にあるのが克服という境地である。これについての解説はもういいだろう。
それでは、「無パチ」とは何だろうか? これは、「パチンコの存在が、あまり気にならない状態」といえる。興味も無く未練も無く過去のサンクコストも忘れ、テレビなどでパチンコの話題が出ても気にならない。だが「少しはパチンコ自体の存在が心の片隅に存在する」、といったところだろうか。
ちなみに、この私はいまだに無パチに到達できていない。いまだにパチ・スロの夢をしょっちゅう見るのである。しかも、スリップしたと夢の中で気付き、「仲間達に知れたら」などと考えてあたふたする。
「空パチ」とは、あなたの想像通り、「パチンコの存在を、全く意識していない」状態である。つまり「空パチ」の人にとってパチンコは空気のような存在である。ホールの前を通ろうがチラシが入ろうが職場で仲間が勝った負けたの話をしようが、一切気にならない。
勿論、「空パチ」に到達すれば、衝動が無く誘惑もない。パチンコその物が空気と同じ存在になるのだから当然だろう。(続く)