不安の可視化は現状の把握から

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先の記事で書かせていただいたが、「生活不安は、一番大きなストレス」であり、ギャンブルに依存しやすい環境を生み出す原因になっている。

生活不安について考えてみると、現状の生活そのものに対する不安は勿論だが、「これから暮らしていけるだろうか?」という未来への不安も大きい要素である。

ここで一つ考えていただきたい。現状の不安というものは、日々体感するものだ。だが未来の不安については、自分自身で想像するしか無い。つまり目に見えないのである。

実際、この見えない不安という物の呪縛はとてつもなく大きく、少なくとも可視化しておく必要があるのだ。

目隠しをして歩くのがいかに大変なことか、ここで取り立てて説明する必要は無いだろう。今日から、可視化することで取り除ける未来の不安について書いてみたい。

依存症ギャンブラーは刹那的

ギャンブルに依存している人と会って一番に感じるのは、「刹那的」であるということだ。刹那的という言葉を簡単にひとことで表現すると、「行き当たりばったり」となる。つまり計画性が無く、未来に対する考えがスッポリと抜け落ちているわけだ。

依存症ギャンブラーがなぜ刹那的かと考えて最終的に行き着くのが、「ギャンブルがライフワークになっている」という終着点である。私自身経験してきたが、ギャンブルに心奪われていると、未来のことなど考えていられなくなる。なぜなら、ギャンブルし続けるだけで既に酸欠の如く、生活にアップアップし無ければならなくなるからである。

同時に、刹那的な思考の人は未来のことを考えないだけでは無く、現状も理解していない。自分が崖っぷちを歩いていようが綱渡りをしていようが、一向にお構いなしという人が多い。

まずは現在の状況把握から

実際のところ生活不安を取り除くという作業は、「現状把握」から始まると言っても良い。まずは自分が、社会的に人間的に知的にどの程度であるか、把握しなければならないのである。

ところがどっこい、パチ屋などはそういった要素と全く無縁の世界である。パチ屋はコミュニケーションが殆ど無い空間であり、知的な要素も少ない。客同士が親しくしたり心を許したりする理由も存在しない。

なぜなら誰もが少し後ろめたく感じながら、自身の快楽を得る目的で集っている場所だからである。そこに存在する評価とは、「いかに多くの出玉を得たか」ということだけである。

そんな空間に毎日通い何時間も機械相手に座っていれば、人間力が衰えて当然である。だが当の本人は、そんなことなど微塵も考えていない場合が多い。

私自身のことで申し訳ないが、私が「ギャンブルしている場合じゃ無い」と考え始めたきっかけは友人から浴びせられた一言だった。居酒屋で私がパチ・スロの話をし始めたとき、

「お前、まだそんなことやってるのか……」

あの時昔からの友人だった彼は、哀れむような目で私を見つめながらそう言った。あの瞬間、私の心の中で何かが崩れ去った。私は友人のひとことで目が覚めたのだった。

私のように運良く自身の堕落に気づける人は、そう多くないだろう。しかしながら、「自分がどのポジションに居るのか、常日頃から考える習慣」は付けた方が良いと思う。(続く)

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奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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