諦められない理由とは
最近、SAGSの掲示板でちょくちょく論争になっていることが一つ有る。それは、ギャンブルすることを諦めるためには、どうすれば良いかということだ。
ギャンブルすることを諦められない理由としては、各人いろいろ有るだろう。例えば私の場合、「ギャンブルを取り上げられてしまったら、一体何をすれば良いのか?」という喪失感と恐怖感があった。ばかげた話だが、私自身パチンコとスロットだけが自分の取り柄と考えていたから、それらを手放すことは自己否定にさえつながったわけである。
中には、「どうやって暇な時間を使えば良いのか?」と嘆く方も居られる。結論からいうと暇な時間というのは、断ギャンブルするにつれ無くなっていくことが多い。なぜなら社会復帰する過程で、それまでギャンブルに奪われていた膨大な時間が本来の目的に使われ始めるからである。
だが断ギャンブルを始めたばかりの人にそういった未来の成果が見えるわけも無く、ただ不安ばかりが残るのである。つまり先が見えないからこそ、手放す勇気が持てないわけだ。しかしながら、こういった「暇な時間問題」といったケースは日毎に忙しくなってくるので、比較的効果が見え易いといえる。一番問題なのは、お金にまつわる感情が原因で諦められないケースである。
ギャンブルするためにギャンブルし続けるという思考回路
これは私自身SAGSのテキスト内でも書いていることだが、金銭に対する感情が原因でギャンブルを手放さない方が多い。そういった方の感情については一定の傾向がある。それは、「前向きな目的のためにお金が欲しい」と考えていないことだ。
例えば、「世界一周旅行をするためのお金を、ギャンブルで一山当てて作るんだ!」という人が居るかどうかというハナシである。全く居ないとは言いきれないが、そういった方は限り無く少ないだろう。
ましてやパチンコやスロットに興じているような人たちが、そういった前向きの目的で毎日機械とにらめっこしているとは考えにくい。彼らがギャンブルする目的とは殆どの場合、「これからも今までのようにギャンブルする為」である。
少しわかりにくいかもしれないが、依存症ギャンブラーの頭の中は次のような思考回路になっている。
- これからもギャンブルし続けるための軍資金を得たい
- 昨日、爆発しなかった345番台を打たないと大損だ
- アサイチに行かないと昨日粘った678番を誰かに取られる
- 昨日出なかったから、今日は大判振る舞いだろう
- これまでの負けを取り戻したい
- このまま負けたままでは済まされない
負けを取り戻すとか負けたままでは居られないとかいうサンクコスト(過去に失ったお金)への執着心は、結局のところ自分がギャンブルすることを正当化するマインドである。つまり依存症ギャンブラーはどういった理由を付けてでもギャンブルし続けたいわけで、「これからもギャンブルし続ける」という目的と使命感が行動心理におけるコンセプトになっている。(続く)