タイトルの続きは
さて、本日のタイトルに続く文字列だが、「やめられない」ということである。つまり、やめようと志したとき、それまでギャンブルに投じた金額が多ければ多いほど、やめにくいということだ。依存症ギャンブラーなら誰でも、この心理については理解できるだろう。
私が現役の依存症ギャンブラーだった頃、パチ屋での負けが1000円程度なら悔しいどころかむしろ清々しい気分になったことを思い出す。少々の凹みならたいして気にしないのが常だったが、負けが込むとそうは言っていられなくなる。
最初は余裕をかましてはいるものの、負債が5万を超えるあたりから目が釣り上がり顔つきまでが変わってくる。それが本来のギャンブラーなのである。取り戻そうとあえぎもだえホールの中を徘徊する。まるで宿無しのオオカミのようである。ところがパチ屋にも「閉店時間」というものがあって、悔しさをふつふつと滾らせながらホールを後にしなければならない瞬間がやって来る。
健常者ならば、「こんな酷い目に遭うのは、これからまっぴらゴメンだ!」となるのだろうけれど、そうならないのが依存の怖いところである。負債は積み重なれば積み重なるほど新たなパワーを漲らせ、それらは全てリベンジに費やされてしまうのである。ここでいうリベンジとはズバリ、「ギャンブルの負けをギャンブルで取り戻そうとする」ことに他ならない。
必要なのは失ったものを諦める勇気 だが…
このような悪循環に陥った人が真っ先に考えるべきことは、自分のことを信用しないということである。誤解が無いように申し上げておくが、ここで信用しない「自分」とは「ギャンブルをやめる手段としての心の力」のことである。
これはSAGSのテキストの中でも書いているが、ギャンブル依存症というものが本人の心の力を弱らせて堕落させてしまうのである。貧弱になってしまったマインドで克服できるほど、ギャンブル依存症は甘いものではないということでもある。
次に必要なことは、これまで失ったものを全て諦める勇気である。だが、このことはとても難しい。SAGSにおいても断ギャンブル期間が1年を超えられない方は、ほぼ間違いなくこれができていないのである。
ではどうすれば、ギャンブルによる負債を諦めることができるのか? その答えはおそらく、たった一つだけである。(続く)