家族にも諦めが必要
今日から2回に渡って、依存症ギャンブラーの家族にとって必要な諦めについて書いていきたい。
ギャンブル依存症問題を解決するためには、家族の協力が欠かせない。ではどういった協力が欠かせないのかと話せば長くなるのだが、協力云々という前に重要なことが一つ存在する。それは依存している本人と同じく、家族にも一つのことを諦める勇気が必要ということである。
では、依存症ギャンブラーの家族が諦めるべきこととは、一体何だろうか? それは、「依存した本人を、あなた自身の力で変えようとすること」である。別の言い方をすれば諦めとは、「本人を変えたいという欲望を捨てる」ことともいえる。
ここで少し思い出していただきたい。依存した本人に向かって、これまであなたが血のにじむような努力をしてきた結果、本人はあなたが思い描く人物になっただろうか? 何か好転したことがあっただろうか?
今ここであなたがこの記事をご覧になっている理由は、おそらくそうはならず現在も大きな問題を抱えておられるからだろう。
私はかつて他人を動かす4つの方法とは何か聞いたことがある。その4つとは、次の通りだった。
- 暴力
- 金力
- 権力
- 愛情
上位3つはともかくとして、最後の愛情というものが使いにくく、また難儀なものである。注ぎ方に注意が必要なのである。
愛情の注ぎ方で
頭の中で「他人を変えることはできない」と分かっていても、我々はこの戒めをついつい忘れてしまいがちだ。例えば本人が遅く帰宅するとガミガミ文句を言ったり、どこで何をしていたか問い詰めようとしたりすることがそれに該当する。
これらは本人と家族のことを案じ、なおかつ本人への愛情があるからこその行動だろう。だが結果といえば、本人はますます殻に閉じこもり本当のことを話せなくなってしまう。帰宅するのが嫌になり、一層長くパチンコ店で過ごそうとする。これでは完全に作戦負けと言えるだろう。
こういった試みがスタックしてしまう大きな理由とは、本人が「あなたが自分を変えようとしている」ことに気付き、ウンザリしてしまうからである。ではどうすれば良いのか? それが「愛のある放置」というものである。
愛のある放置は簡単である。ひとことで言えば、「金銭のガードだけしっかりと固め、あとはこれまで通り本人と過ごす」ということ、ただそれだけである。ここで大切なのは、金銭に関しては鉄の如く妥協しないということである。
それはたとえ本人が、サラ金に追われたり会社の金を使い込んだりしたとしても同じである。そういった行為の結末がどうなるか、本人に痛いほど味合わせる必要があるのだ。
あなたが借金を肩代わりしたり金を工面したりしたら、その時だけ本人は感謝で目を潤ませ「もう二度としないから…」とあなたに誓うだろう。そしてまた、その時は本人もそう感じているのである。(続く)