克服とは 孤独との決別である

2・克服とは ストレスから解放されること

ですが克服していく過程というものは、決してつらいことばかりでもありません。むしろ、「それまで以上に楽しい毎日が訪れる」というのが私自身の経験であり、順調に快復されている方々から頂戴したメッセージです。そればかりではありません。あなたの克服は、周囲の人たちにも幸せを呼び込むのです。

例えば、それまでギャンブルしていた時間を利用して家事を手伝えば、家族は大喜びしてくれることでしょう。あなたが真面目に仕事をすれば、会社は助かりますし職場での地位も上がります。暇つぶしのために趣味を持とうと、いろいろなサークルなどに参加すれば友達が出来ます。自助グループや掲示板に参加すれば、絆を共有できる仲間ができます。

つまり、あなたはギャンブルをしないことによって、良好な人間関係を築き、社会的信用を高めることができるのです。はっきり目に見えてくる人生の好転が、あなたのモチベーションを高めてくれることでしょう。

それと、賭博場は、人間が持つマイナスのオーラで埋め尽くされている所です。あなたは隣に座った人が大勝して、気分を悪くした経験がないでしょうか?

本来なら誰かに良いことが訪れたのですから、祝福してあげて当然です。しかしながらギャンブラーというものは、知らず知らずのうちに他人と自分を比較して、羨んだり妬んだり僻んだりばかりしているものです。

また、ギャンブルするということは、金を失い続けるということです。逆にギャンブルしないということは、金を失う心配をしないで済むということでもありま す。

もうお分かりだと思いますが、お金の心配をしないで生活できるというだけで、殆どの悩みと精神的な重圧からおさらばできるのです。そういった場所に行かないだけでも、かなりのストレスが減るのは当然でしょう。

・克服とは 孤独にサヨナラすること

と…。私がここまで書いても、まだあなたは心の中でやめることを恐れられているかもしれません。確かに、賭博場に1日いかないということは、依存症ギャンブラーにとって最も苦痛なことです。かなり勇気が必要かもしれません。それがたったの1日であったとしても、衝動と失望に心が揺れ動き、頭を掻き毟らなければ過ごせないかもしれません。

「口実を作りなよ。言い訳なんて、いくらでもできるじゃないか」と、あなたの心の中で悪魔がペロリと赤い舌を出すかもしれません。でも、行かない生活が3日間続いたとしたら、どうでしょうか?

おそらくつらさは変わりないと思いますが、心境に変化が出てくると思います。行かない日が続くと、少しずつ、本当に少しずつかもしれませんが、「諦める」という気持ちが芽生え始めるのです。(ここで一つ付け加えておきますが、既にこの時点で衝動に対する完璧なガードがなされている必要があります。)

確かに断を始めた当初は、賭博場に行かないことがつらく、悲しく、そして耐え難いものです。ですが、それも行かない期間を積み重ねることによって、徐々に気にならなくなっていきます。それから変化が起こります。それまで見えていなかったものが、見え始めるのです。

家族の温もりが嬉しく思えます。友人の素晴らしさに気付くことができます。真面目に働く尊さがわかるようになります。他人の思いやりが、どれほどありがたいものであるか心に沁みるようになります。そうしているうちにあなたは、自分がいかに愚かな出費を繰り返していたのか、それまでにどれほど多くの貴重な時間を失ってきたか知ることになるでしょう…。

私の場合、咄嗟に感じたのは、「今からでも、間に合うのだろうか?」ということでした。「遅れを取ってしまった友人や仲間たちに、オレは追いつくことがで きるのだろうか?」という不安でした。ですが結論から言えば、ヤル気さえあれば挽回するのに十分すぎるくらいでした。今つくづく感じるのは、やめるタイミングに「遅すぎる」はないということです。

このようにギャンブル依存症を克服していくのは、悪夢から覚め、新しい物と出会うということなのです。楽しくワクワクする作業だといっても、決して過言ではありません。一方でギャンブル依存症の克服とは、長年寄り添った孤独とサヨナラすることでもあります。ギャンブルをやめたことで、新たな出会いに恵まれた方は多いです。

ただし、ひとこと「克服する」といっても、それにはいくつかの決まりごとがあることを覚えておかれたらよいでしょう。(続く)

奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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