保険屋時代 その7

2プロの掟とは

パチプロなどと言うと、世間では少しカッコよく聞こえるものらしい。ちょくちょく聞く話だが、真面目に生きることを照れるというか恥ずかしく感じている世代や年代・時代がある。今は死語になった言葉だが、ようは「不良に憧れる人たち」である。

かくいうボクも、そうだった一人である。憧れる世代どころか、かなりの歳のオッチャンになってからもそう思っていた。ようはアホだったのである。勿論その頃は、自分がパチンコ依存・スロット依存だなど、微塵も思ってはいなかった。

プロというと聞こえがいいものだが、現実は違う。プロとは、そんなにきれいなものではない。ましてや、憧れに値するような代物では断じてない。これは前回に書いたとおりである。

彼等の目的とはただ一つ。ホールから金を持ち帰ることである。目的はオマンマにありつくことだ。手段はどうでもよい。そしてそれが唯一、プロがプロであるための掟でもあるのだ。

誤解が無いように少しだけ書いておくが、ボクはプロでは無かった。というよりは、プロになれない人間だった。なぜならギャンブルに依存していたからだ。。

最初の頃はプロを気取っていても、いつかツケが回ってくる。負けが込みだすと、ボクはそれまで熱心に毎日付けていた勝ち負けの収支さえ書かなくなった。その理由は一つ。負けた記録を書き続けると、パチ屋に行く理由が無くなってしまうからだ。

ボクは最後の2ヶ月、パチスロで60万程度溶かした。それきり収支も付けなくなった。それからは健康を害し、ボロボロになりながら亡者のようにホールをさまよった。

つけるべきケジメ

前回の続きだが、その店の自称プロSは組んでいる店長の蒸発という憂き目に遭い、全く稼げなくなってしまった。

なにしろそれまではといえば、座っているスロット台は毎日設定6。一発台はといえば一味が、ユル釘台のたらいまわしか放り込みで抜くといった塩梅だったから。

そういった美味いハナシが新しい店長が来るというだけでおじゃんになるわけだから、連中にとって一大事である。しかしながら変な話、ああいった連中の筋道をつけるということならば、次のような手順を踏むのが当然である。

1. それまでの店長に 顔つなぎをしてもらう
2. そのうえで きちんとケジメをつけて挨拶をする
3. それなりの手土産を持参する(もちろん現金)
4. 新しい店長と「新しいルール」を決める
5. 交渉成立

だがSは、そのことをちゃんとしなかった。

イカサマプロの末路とは

Sがそうしなかった理由については、いろいろなことが憶測できる。まず一番可能性として高いのは、それまでの店長が不祥事などの理由で飛ばされるか解雇された場合である。そういった場合、後任の店長と顔つなぎなどできるわけがない。

次に考えられるのは、(かなり可能性が低かったが)後任の店長が真面目な人物であった場合だ。「プロと組んで一儲けなど とんでもない!」などと思う人であれば、交渉もなにもあったもんじゃないだろう。

だが後程聞いた話によれば、どうやらSは店を舐めきり、ちゃんとした手順も踏まずにコトに及んだようなのだ。ではなぜボクが次にきた店長が、真面目な人物でないと断言できたのか? それはその店長も、後に他の一味と組んだことを知ったからである。

店長が入れ替わってしばらくしてから、Sはスロットのコインが入っている保管ケースからコインを抜き取っているところを、モロに店長に見つかってしまったらしい。

そしてそれ以来、Sは出禁になったのである。もちろんだが関連していた店員は飛ばされ、彼の一味も全員が出禁となった。

事情をよく知る店員から話を聞いたが、Sはそれまでも保管ケースからコインを抜き取っては換金していたという。インチキとかイカサマを通り越して、完璧な窃盗である。

で、そのパチンコ店がその後どうなったかだが、平和を取り戻したように見えたのも、ほんのつかの間だった。また別のウジ虫がやってきて、その店を取り仕切るようになったのだ。やはりモーニングという腐った利益分配システム自体に、ウジ虫を呼ぶ大きな欠陥があったのだろう。

今思えば、あの頃ボクが出会ったプロと呼ばれる連中は、皆腐りきったやつばかりだった。誤解があるといけないので書いておくが、その後ボクは卑怯な手段を使わずに正々堂々と稼ぐプロにもたくさん出会った。

そういえば、いろいろな人物と人間模様に出会ったのもあの頃だ。次回はその頃ボクが出会った、悲しい人たちについて書いてみたい。(続く)

奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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