私の場合、パチ・スロをしている夢を見るというだけではない。夢の中でだんだんと自分が断パチ・スロしていることを思い出し始め、「どうやって隠そうか…」などと考えていることが多い。
情けない話だが、これは堕落であり自責の念に駆られてしまう。だから私は今でも、スリップしてしまった仲間の気持ちが痛いほどよく分かるのである。
依存に対しては「一生続ける」しか方法がない
SAGSを離れていく時に、「もう自信が付きました」とか「もう大丈夫と確信しました」とか言って去られる方が居る。ここで断言するが、依存に卒業は無い。脱出も無い。つまり、「卒パチ」「脱パチ」など存在しないのである。
依存した限りにおいて、一生やめ続けなければならない。このことを知らなかったり忘れてしまったりする方が多い。
とても大切なことだから、もう一度書かせていただくと。「依存から解放されることは無い その解決は、一生やめ続けることでのみ得られる」のである。
だが依存の対象であるギャンブルを嫌いになることが難しく、忘れることも叶わないとすれば、継続していくのは困難を極めるといわざるを得ない。どうすれば良いのか途方に暮れてしまうのも無理の無いことだ。
「諦める」の意味
しかしながら、全く方法がないのかといえばそうでもない。一番効果的なのは、物理的に依存の対象と切れることである。例えば、ギャンブルが無い地域で生活するといった選択である。
ただし、パチンコ店の場合は日本全国津々浦々にある。信じられないかも知れないが、屋久島にでもパチ屋は3店ある。一方で、公営ギャンブルのオンライン投票システムやWEBを利用したカジノなども存在するので、バクチが無い場所に行くというのは無理な話だろう。
ではどうすれば良いかだが、私は「時間をかけながら、ゆっくりと諦める」ことをお勧めしたい。簡単にいえば、衝動対策を取って断ギャンブル日数をカウントしながら、ギャンブルすることを諦めるという方法だ。
よく考えてみれば、我々は日常的にいろいろなことを諦めている。豪邸に住んだりレクサスに乗ったり、毎週ハイエンドなレストランに通ったり毎年ヨーロッパに旅行したり、そういったゴージャス生活は庶民では手が届きにくい。おいそれとブランド品を持ち物にできないのも同じ理屈である。
お金が絡んだこと以外では、政治家や弁護士・医師といった職に就くこと、音楽や芸術で身を立てることにしてもできる人とできない人が居る。成りたいと思っていても、その夢に手が届く人はほんの一握りに過ぎない。
つまり我々は立場に応じて、諦めるという感情を常日頃からコントロールしているわけで、おそらくだが我慢の延長にあるのが諦めなのだと思う。
ということで、衝動に襲われてモヤモヤしているあなた。我々と一緒に時間をかけながら、ゆっくりと諦めてみませんか。(奥井 隆)