かがり②(主人との出会い~依存へと)

  • 主人との出会い

10年以上前まで、私はパチンコと無縁の生活をしていました。両親もパチンコはせず、堅実な人たちでした。

初めてパチンコを見たのは16才の時です。あの頃、祖母はパチンコ屋のパートをしていて、夏休みに祖母の家に泊まりに行った時、私はそのパチンコ店でお手伝いをすることになりました。

初めて入ったパチンコ店は、軍艦マーチが延々と流れてて、たくさんの大人たちが台の前に座っていたことを思い出します。

当時の私は、全く興味がないので気にもしませんでしたが、従姉妹の両親がパチンコをして生活が楽ではないことを知っていたので、逆に良い印象を持っていませんでした。

パチンコに触れたのは、今の主人と出会ってしばらくした時です。出会った頃の主人は、ゲーム感覚といった感じでパチンコを始めた時期にあたり、私は主人に誘われて初めてパチンコ店に入りました。

  • 依存した理由

当時の私といえば人間関係に疲れており、主人に出会うことでようやく日々が楽しく感じられるようになった時期でした。そんな中、主人との恋愛にのめり込んでいました。

主人に教えられて、いろいろな種類の台をやりました。最初は主人がいないとパチンコをしませんでしたが、慣れてくると1人で会社帰りや、会社を休んで家族に嘘までついてパチンコをしました。当然のように、貯金も目減りし始めました。今思えば、私はこの頃既にパチンコに依存していたように思います。

そんなある日のこと、私は自分が妊娠していることに気付きました。主人はまだ大学生。当時の自分は社会人でしたが、パチンコで貯金も底を尽いていました。

「堕ろそうか… それとも主人には内緒にしておこうか…」そう悩んだ挙句、結局は主人に相談しました。

お互いの親に事情を説明し、結果として主人は大学を中退して、義父の経営する自営の二代目として働きはじめました。

結婚費用も、新婚の部屋も最低限の家具も全て主人の実家で揃えていただきました。ところが、授かった子供を私は流産してしまったのです…。

その頃の私は共働きの親には頼れず、義父宅で療養させていただきました。しかし、自分はそこを抜け出してパチンコするようになりました。義父のいる家の環境が、あまりに辛かったからです。

新居に帰って日常に戻っても、私たちは相変わらず夫婦でパチンコをしてました。休日は決まって朝からパチンコ。少しでも暇があれば1人でパチンコ。

普通に暮らせば貯金も増えるほどの余裕があったのに、我々の生活はいつもその日暮らしでした。

かがり③(ギャンブル依存症と自覚)

奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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