ギャンブルに依存すると、生きる目的がギャンブル一本になる
というと誤解を生じるといけないので、もう少し違った書き方をしよう。通常の場合ギャンブルに依存すれば、「ギャンブルという目的のために、人生を捧げ続ける状態になる」といってよいだろう。
では人生を捧げ続けるとは、どういったことか? それはお金であったり時間であったり仕事であったり人間関係であったり社会的地位であったり、それらのこと全てをギャンブルするため犠牲にするわけである。
私は以前、「ギャンブルに依存して失う、一番大切な物とは何ですか?」と問われたことがある。その時は、「依存者の人生その物です」と答えた。
犠牲になる物の中で、とりわけ損失が大きく後になって取り戻しようがないのが、時間というものである。お金や地位、仕事などは後になって回復することができるが、いかんせん時間という物は当初より限られているものなのでどうにもならない。
SAGSに参加された方が開口一番、「今からでも間に合うでしょうか?」と嘆かれることは多い。特に年配の方ほど、その割合が高い。
だがこの質問に答えるならば、遅すぎるタイミングなど存在しない。ギャンブルを断った瞬間から、全てのことが改善し始めるからだ。
暇という苦痛
とはいえ、先の記事でも書いたようにギャンブルというものは、やめた瞬間に莫大な時間を吐き出す代物である。特にパチンコとスロットに関しては、その傾向が強い。
この「持て余す時間」に溺れ、もがき苦しむ方は多い。私も経験あるが、実際、暇ほど苦痛なことはない。断開始直後から、この難儀な敵との戦いが始まるのだ。ここで焦ったり自暴自棄になったり、パニックを起こしてスリップしたりしてしまう方が多いのも無理のない話だろう。
こういった苦しみは、依存症ギャンブラーなら誰もが経験するものである。しかしながら少しだけ安心していただきたい。持て余す時間は断ギャンブルを続ければ、次第に無くなっていくのである。
時間の「戻し方」
では、なぜ持て余す時間は、断ギャンブルを続ける過程で無くなっていくのだろうか? 実際にこれまでからSAGSのメンバーさんたちを拝見し、私はこのことを痛感している。
その答えを書くならば、次のようになる。
ギャンブルを断って社会復帰していくことが、それまでギャンブルの犠牲になっていた物と再び出会い、それまで見過ごしてきた物と巡り会うことだから。
つまり、「ギャンブルを断って社会復帰していくことが、徐々にギャンブル以外のことをやり始めること」だからである。
前回に私は、「犠牲になっていた物の元へ、時間を戻していけば良い」と書いた。だが何のことはない、少々時間はかかるが、時間は自ずと本来の目的へと振り換えられていくのである。
SAGSのOB達を見て
その証拠に、断ギャンブル1年を達成した人が、「時間を持て余して暇で仕方が無い」と言うかどうか質問してみれば良い。SAGSの中を見る限りにおいて、断ギャンブル日数を重ねれば重ねるほど、忙しくなっている人が多い。
ネイルサロンチェーンのオーナー
板前長
ホテルの支配人
会社の上場に携わった人
医療現場の責任者
ソーシャルワーカー
女手一つで家を建てた方
会計士
大家さん
中堅会社の執行役員
税理士
建築家
大学の助教授
教頭
社労士
大手量販店の店長
ファイナンシャルプランナー
などなど、いろいろと立場は違うが、ギャンブルを断ってから大いに躍進された方が多い。そういった方々は、ギャンブルを手放してから充実した人生を送るようになり、時間を持て余すどころか忙しくて仕方が無い生活を送られているのである。
これまで私はそういった方々とお目にかかり、活躍している報告を伺うのが何よりの楽しみだった。
もしもあなたが1年間の断ギャンブルを経られたとき、誰かに、「今、暇ですか?」と尋ねられたとしたら、どう答えられるか? その答えは既に決まっているような気がする。
ここでひとこと申し上げるならば、「あまりクヨクヨと考えず、1年間の断ギャンブル日数達成だけを考えなさい」ということだ。結果は少しというか、かなり遅れてやって来ることが多いのである。(続く)