今度こそと思わないこと
多くの依存症ギャンブラーは大きな不始末を起こした後、土下座して謝り、「絶対にしない」と誓う。そのように真剣な態度で詫びを入れられると、信用したくなるのが人情だ。「今度こそは大丈夫!」と思ってしまう人が多い。
だがそういったことを経験してからも、何度か裏切られたという人は多い。なぜか? その理由について私は、「ギャンブル依存症は、心の力で克服できない」からだと考えている。その根拠についてお話ししたいと思う。
賭博の世界は汚れすぎている。だからそれに没頭していると、どんどんと人格が下がるのである。心の力が弱っていくのである。ましてや依存してコントロールできなくなってしまうと、善意が吹き飛びギャンブルしたいという欲望だけに心が支配されるのである。
こういったことは、もしもあなたがギャンブルをした経験が無いというのであれば、お分かりにならないだろう。だが私は、そういった修羅場を何度も何度も目撃してきた。例えば…
鉄壁の金銭ガード そして放置
いつも釣り銭入れの中から金を抜き取ってパチンコ屋に通っていた八百屋のオヤジは、ある日パチンコから帰ってみると奥さんが首を吊っていた。
ちょくちょく通ったことがある寿司屋の店主は賭け麻雀が過ぎて、店をその筋に手渡さねばならなくなった。
ある時、ホールで私の隣に座っていた女は、突然男の手で髪の毛をわしづかみにされ店外に引きずり出された。「なんでお前は……。なんでお前は……」男はただそう叫びながら、女に馬乗りになったまま殴り続けた。似たような話は、山ほどある。
これら全ての事件は、ギャンブルへの依存が原因で起きたのである。経験が無い人にすれば、なぜそうなるかサッパリわからないだろう。
依存してしまうと、ギャンブルすることが全てに優先してしまうのである。だからこそ、依存症ギャンブラーは家族を捨て名誉を捨て全ての金を注ぎ込んで、なおやめないのである。
だが依存とはそういったものだ。本人の詫びや誓いなどをあてにしてはならない。あなたが信じてよいのは、本人が積み重ねた断ギャンブル日数だけである。なぜなら「全ての改善は、ギャンブルしていないときにのみ行われるから」である。
家族ができることはただ一つ、「金銭のガードを鉄壁に行い放置する」これだけなのである。(奥井 隆)