「飽き」は 必ずしも廃れる原因ではない
以前私は、「パチンコ・スロットが廃れつつある 本当の理由」という記事を書いている。要約すれば、そうなった原因は「パチ・スロが面白くなくなった」ということである。そうであるにもかかわらず、せっせと大枚をつぎ込んでいる人たちは、遊戯人口が減って疲労困憊している業界を懸命に支え続けているのである。
実際に流行り物が廃れるという現象を、私は何度も見てきている。昭和の時代に遡れば、ボウリングはそうだった。インベーダーなどのテーブルゲームも、すぐに飽きられて姿を消した。プロレスも最近テレビで見ないし、ローラーゲームやプロ卓球など、その存在を覚えている人はかなりの年配だろう。
ギャンブルに目を向ければ、今まさに選手生命を終えつつある物も存在する。例えば、麻雀がその類である。
もっとも近年は賭け事に対しての風当たりが強いので、おおっぴらに賭け麻雀などできないご時世かも知れない。ちなみに私が現役の会社員だった頃、取引先の銀行員達は雀荘で目をギラギラさせて生の現金をやりとりしていた。今では考えられない時代だったように思う。
だがそういった、いわゆる「流行り物」が廃れる理由というのは様々だ。一時の流行りなら飽きられれば、すぐに姿を消すのだが、タバコにせよ麻雀にせよ根強く染みついた物が廃れるときには、何らか大きな要因が存在する。
麻雀がここまで廃れたのは、若者が複雑なゲームを好まなくなったからだろうか? 私はこの問いに対しては限りなく否定的である。スマホなどのゲームアプリやRPGなどにも、かなり複雑な物が存在していて、マニアックな人たちが多い。断じて言うが、麻雀その物が飽きられたということが原因ではない。それにタバコも麻雀も、そもそも飽きない代物である。ここは少しだけ脱線して、麻雀のことについて書いてみたい。
麻雀が廃れた理由とは
私は麻雀が廃れた理由として一番大きいのは、麻雀を教える人が居なくなっていったからではないかと考える。教える人が居なくなる大きな理由とは、学生達のライフスタイルの変化が大きい。冷暖房の整った部屋にこたつは必要で無く、こたつが無ければ遊戯場所は雀荘しか無くなる。雀荘は、それなりのお金がかかる……。
下宿が減ったことも大きな原因だろう。ワンルームマンションで暮らす学生が増えたことで、下宿屋という物が今ではかなり減っている。学生寮内でも、麻雀できないところが増えたと聞く。今では多くの大学寮において、麻雀パイやマットの持ち込みが禁止されている。そうなると、麻雀を教える場が無くなっていくわけだ。
殆どの場合、麻雀は先輩から後輩へと教えられ引き継がれていく物だった。少なくとも私が在籍した大学や友人が学んだ学校ではそうだった。そういった構図が、いつの間にか無くなっていったのである。麻雀は原則として4人集めないとできない遊戯である。メンバーを集めるのと遊戯法を教えるのは、好きな人にとって使命なのである。
そういったことがつもりに積もって、麻雀を知らない学生だらけの世の中になってしまった。「知る人が居ないから教える人も居ない。教わることもないから、やらない」ということだ。そりゃ廃れて当然だろう。
つまり麻雀というギャンブルは、学生という層の若者達のライフスタイルが代わったことが原因で、いつしか衰退の道を辿ったといえるのである。繰り返して言うが、面白くなくなったことが衰退した原因ではない。(続く)