ギャンブラーにとっての生命線
昨日の記事で私が書いた依存症ギャンブラーに対する魔法の質問とは、「これから、一切の金銭管理を私がします。それで、いいですか」というものである。
なぜこの質問が家族にとっての分岐点になるのかということだが、今日はまずそのことについてお話しさせていただこう。
今回まずあなたに考えていただきたいのは、依存症ギャンブラーにとって「家族に金銭管理を任せる」ことがどういった意味を持つかということである。おそらくそれは、ギャンブルにまみれていない人が想像もつかない世界の出来事である。
あなたに対し最初にお伝えすべきことは、ギャンブルする人物の生命線についてである。通常の場合、ギャンブルはいくつかの要素を満たさなければプレイできない。詳しく書けば、それは欲望と時間と金なのだが、欲望はともかく時間というものは自分でやりくりすれば何とかなる場合が多い。
だがお金に関しては、バクチするその場で必ず必要であり、また事前に用意しなければならない物である。つまりギャンブラーにとって、一番大切な生命線とは金なのである。
魔法の質問の意味
ここで思い出していただきたい。私が提案した質問とは、次のような物だった。
「これから、一切の金銭管理を私がします。それで、いいですか」
この質問を突きつけられたとき、依存症ギャンブラーならば少なからず狼狽するはずである。その理由はただ一つ。その質問が、今後、自分がギャンブルできるかどうかを決定する実に悩ましい「問いかけ」だからである。
しかもそれを受け入れた瞬間、自分はギャンブルする金を今後も調達できなくなる。なぜなら、金についてのことは全て家族に握られ、一切自由にならなくなるからである。
そういった「問い」を受け入れるかどうかで、今後の道筋が決まるというのは自明の理であろう。おそらくだが、ここまでの方法はほぼ定石だと思う。(続く)