解決を求めない相談
家族側の方とお話ししていて感じることがある。それは、悩みの相談で来られたはずなのに、なぜか堂々として悩んでいる風に見えない方が居られることである。
面談や電話だけでなくメールの交換でもしばしば、そう感じることがある。
そのような方と遭遇すると、私自身も以前は戸惑ってしまうことが多かった。「なぜ、この人はこうも落ち着いていられるのか?」と。
しかしながらそういった方の目的が、実は相談して解決を得ることではなく、自分のやり方を肯定してくれる人物探しであることに気付いたのは、初めて相談を受けてしばらく経ってからだった。
そういった方と接していて感じるのは、相談を受けるというよりは話だけを聞く役目に徹しなければならないことであり、少しでも反対の意見を入れると、途端に相手の顔色が変わるということだった。
そこで聞かされるのは、自分がこれまでいかに苦労してきたか、そして本人がどれだけ酷いことをしてきたかについてである。
家族側に存在する飼育願望
そういった方の特徴といえるのは、解決に向けどうすれば良いかという質問が少ないことだ。
だが最も大きな特徴と言えるのは、「放置」に対する拒絶であり、とことん自分がかかわろうという強い意志を持っていることである。
つまりそういった人は、自分が本人を管理しないと気が済まないわけだ。そういった方に限って、いくらアドバイスしても、本人にお金を手渡してしまったり手を差し伸べてしまったりするケースが多い。
後に私はそういったマインドについて飼育願望と書いたが、子供が飼育するオタマジャクシはいつか蛙になって一人立ちするが、依存症ギャンブラーはとことん甘えるばかりで進歩することが無い。
家族側に存在する飼育願望は克服させない魔法であり、不幸になるための方程式ともいえる。(続く)