呟きは 押しつけツール
私の家のことで申し訳ないが、一つの逸話をご紹介したい。私の母はまだ健在だが、近年加齢に伴い、家事が殆どできなくなってしまった。
ところが本人はいまだに家のことがいろいろと気がかりで、どうにもならないらしい。しかしながら自分の力では、何もできないわけである。そんな母がよく使うのは「呟き」である。
- 「今日は良いお天気やなぁ。布団干したいなぁ」
- 「しばらく雨が降ってへんなぁ。植木に水、やらんとあかんなぁ」
- 「そろそろ歳暮の時期やなぁ。百貨店の外商に行ってこななぁ」
これらの言葉を聞かされるのは私では無く同居している父なのだが、「呟きを聞き流す」とはいかないようである。なぜなら、そういった呟きを無視すると、次にもっと顔を背けたくなるような呟きが始まるのだという。
- 「動けんようになると、ほんまつらいなぁ」
- 「早ぅ、あの世に行けんもんかなぁ」
- 「自分で(そういった立場に)なってみな、(こういった無念さは)わからんわなぁ」
ある意味、こういった呟きは某国の大統領並みの影響力と破壊力を持っているようである。いずれにせよ、呟きは自己完結の押しつけコミュニケーションともいえる。(続く)