否認の行き着く先は悲劇が多い
ご家族からの相談をお受けしていて気付くことがある。それはいくつかあるが、特に感じるのはパートナーに対し何かと世話を焼きたがる方が多いということである。
そういった傾向を私は「飼育願望」と書いたが、つまり相手の人格をちゃんと認めていないということである。だから、「この人は私が居ないとダメになる」と考え、ズルズルと甘やかせ続けてしまうのである。
そういった接し方を何とかしないと、結末が依存者との別離だけになってしまうケースが多い。だが否認する側の人は、そもそも別れるという選択肢を持っていないから、そこで一層大きな問題が生じてしまうのである。
私はこれまでにいくつか、家族側の方がメンタル的に限界を超えてうつ病になってしまった例を知っている。全員が「自らの行動に問題が無い」と考え、パートナーを放置できなかった方であった。これは本当に気の毒なケースである。私自身も、残念で仕方が無い。
相手の人格を尊重する
行動を管理しない
これらのことを簡単に書くと、「放置する」ということになる。ギャンブル依存症になった人への接し方は、放置だけで基本的にOKだ。ところがその為には、ちゃんとした知識を得るとともに、自身の誤った正義感を手放す勇気が必要がある。
ここで一つ注意しなければならないのは、金銭の供与を一切しないということである。それらを加味して一言でいえば、「お金を鉄壁に守りつつ、本人を放置する」ということに他ならない。
心のデトックス
そしてもう一つ、問題のあるご家族と接していて感じるのは、自己愛が少ないことである。心の奥底で大きなコンプレックスを持っている方が多い。
そういった方は俗に「不幸のシッポを捕まえやすい人」などと称されるが、そうなってしまう原因は様々である。
それは育ってきた環境であったり、親の生き様を引き継いだりなどだが、特に大きい原因と言えるのはその人自身の行動が「直接身辺の人間に危害を与えない」ということだろう。
だからこそ否認する家族は、自分の行動に罪悪感を持っていない場合が多く、誤った正義感さえ持っているのである。
また、そういった人物は、逆に本人以外の家族から信頼を受けている場合があり、その異常さに誰も気づかないことが多い。
私は、自ら自身の問題に気付き、何とかしようと考えられる方に対しては、自分の棚卸しや内観療法をお勧めしている。
方法はいくつか存在するが、ようは「ちゃんと自分を愛せるようになる」事が必要であり、それが最終目的である。
私は自分を愛することが依存問題解決の「原点」だと考えている。自分を愛せない人は、経験上他人もちゃんと愛せない。
もしも心当たりが有るならば、あなたも時には心のデトックスをされてはいかがだろうか。
奥井 隆(タカビー)