ボクがパチプロに憧れたワケ

2久々に昔の仲間と会った

ボクはプロになれなかったけれど
彼は今でも現役のスロプロだ

彼はボクの顔を見るなり
こう言った

最近どないしてる?
カミサン元気か?
あん時は お互い エエ目したのう
勝って はしゃいで
その足で鴨鍋食べに行ったやんけ

そんな話が一通り終わった後で
彼がポツリと言った

オレ… 足洗おうと思うんや
お前どない思う?

それから彼は 寂しそうに呟いた

今のシャバて…
喰うていけるんか?

(ギャンブル依存症克服への道より 奥井 隆)

人生、半分以上も生きていれば、時として土下座しなければならないことくらい知っている。ボクはいろいろな職場で営業を経験したが、他人よりも抜きん出て成績を上げるためには、どうしても土下座する必要がある。

この場合の土下座とは、他人の前で地面に頭をこすりつけることではない。全ての恥を耐え忍んで、客に接するということである。ある意味これが嫌で、ボクは営業という職を投げ出したといえるだろう。

あの頃ボクは、とにかくパチ(スロ)プロというものに憧れていた。それは自由への憧れではあったが、決してそんなに格好良いものではない。簡単にいえば、楽して食っていくことに憧れていたのである。

じゃぁ楽って、一体何か? それはそれでいろいろとあったんだな…。

ボクがパチプロに憧れたわけ

ボクがパチプロに憧れた理由と、パチプロにならなかった理由は、いくつかある。今回は、憧れた理由について書いてみたい。

誰でもそう感じているかもしれないが、人間関係というものは極めて煩わしく出来ている。人間関係の最小単位というものは、おそらく夫婦や親子というものだろうけれど、そんな最小単位の中でも一旦溺れれば、這い出して来れなくなることがある。

パチプロというものは、極端に人間関係が少ない職場というか「環境」である。逆にいえば、「人間関係に時間を費やすのであれば もっと機械に慣れ親しめ」という凌ぎなのだろう。
ギャンブルに依存する過程として、「人間関係が煩わしくてプロになりたい」と考えた人はきっと多い筈だ。このボクも、そうだった。

煩わしい人間関係がないという他にも、パチプロという稼業は魅力がいっぱいだった。なにしろ、時間的な制約がない。自由出勤に自由退社ときている。身なりも気にしなくて済む。スエットの上下で雪駄履きでもかまわない。

いつ休もうが、それも自由だ。とにかく、あらゆる点で自由なのである。しかも日銭ときているから、取りっぱぐれがない。大ぴらには言えないが、税金を支払うことも考えなくてよい。

それで易々と、「普通のサラリーマンと同じくらい稼げれば それは素敵じゃないか!」などと考えた大馬鹿の一人がボクだった。

究極のプロはサクラなのだが

ボクはこれまでに数度、「サクラにならないか?」と誘われたことがある。当時提示された日給は、だいたい2万円くらいだった。

だがこのボクは、サクラにならないかと言われた時、妙に冷めていた。サクラ稼業が泥臭く因果な世界だと知っていたからである。

プロならば、喰うために抜くだけだ。しかしサクラは違う。抜くために店と組み、客を欺かねばならない…。そこに気分が重くなる因果が生ずるのは、当然のことだろう。

だからボクはサクラにはならなかった。誰からも束縛されず、堂々と抜ける一人前のプロに憧れたのである。だが後年になって知ったが、そのプロとやらも実際は因果どころか非常にレベルが低い連中の落とし場所だったのだ。(続く)

※一連の記事は、「ギャンブル依存症克服への道」から転載しています。

奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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