パチ・スロは 敷居が低すぎるギャンブル
前回の記事で私は、「パチ・スロにレートが存在しなかったことが、ここまでパチンコ依存とスロット依存が蔓延する大きな原因になってきた」と書いた。そして、それがパチ・スロと貧困とを結びつける大きな理由になっているとも書いた。
だがパチ・スロが貧困と大きく関係している理由は、それだけではない。簡単にいうとパチ・スロは、敷居が低すぎるギャンブルなのだ。
まず世界中どこを探しても、日本ほど市民の生活圏に賭博場がゴロゴロ有る国などない。これはもう、賭博場が存在するというよりは、あまりにも多く有り過ぎて「パチ屋はポータブル版のカジノ」といっても決して過言ではないだろう。
以前にわが家で、ニュージーランドから交換学生を受け入れさせていただいたことがある。車で彼をあちこち案内して回ったのだが、彼が「~So many casinos in OSAKA!」と叫び、恥ずかしくなった思い出がある。
私は関西しか知らないが、兵庫県の芦屋市はパチ屋がない自治体として有名だ。いろいろと調べてみたが、どうやらパチ屋が存在しない市というのは全国で芦屋市だけかもしれないのである。
これは驚くべき事実であり、他の国ではあり得ないことだ。
パチ・スロは、生活力を奪うギャンブル
一方で日本のパチ屋は入場するのに身分証明書の提示も必要なく、営業時間は朝から深夜に及ぶ。この事実から考えると、次のように言える。
・誰でも手を出しやすく
・いつでもプレイできる
だが肝心な問題は、もっと他に存在する。それはパチ・スロというギャンブルが持っている、大きな特徴によるものだ。パチ・スロは、生活力を奪うギャンブルなのである。
パチ・スロはレートが無く、プレイヤーが選べるのは「プレイする機械と、プレイする時間」だけである。なぜならパチ・スロがその性格上、プレイする時間に比例して損失が増えるギャンブルだからだ。
そういった特徴からパチンコとスロットへの依存はプレイヤーの時間をも奪い、年金生活者や専業主婦といった比較的時間の自由がきく人たちが、長い時間をかけて蝕まれていくギャンブルなのである。
お金のみならず、仕事をしたり家事をしたりする貴重な時間を失いながら、依存者の生活は破綻していく。パチ・スロが貧困と深くかかわっているのは、パチ・スロが時間と共に依存者の生活力を奪うギャンブルだからである。(続く)