レートに存在する落とし穴
貧困という話からいささか脱線するが、今夜は手始めに、ギャンブルのレートと投資額についてお話しょう。簡単にいえば、多くの人が安心だと思っている遊戯やレートに大きな落とし穴が存在するという話である。というか…
ギャンブルにハマるかどうかは、投資額・レートを決定する時点で殆ど決まっている。
もちろん、これは私の持論である。
自分にとって痛くも痒くもない勝ち・負けなら、おそらく勝負しようという人などいないだろう。「ギャンブルは余剰資金で」と建前では言っても、勝負する楽しみの大きさは獲れる金額の大小で大きく左右されるものである。もう一ついえば、負ける額の大きさも重要なポイントなのだ。
こんなことなど、ギャンブラーならば誰だって知っているし、またそういった喪失やリスクに対する危機が快楽につながっているということなど周知の事実だろう。
また逆にいえば、その満足に沿うためには、それなりの投資額を覚悟する必要があることも、いわず語らずの事実である。勝つばかりのギャンブルは面白くない。ギャンブルは、負けることがあるからこそ面白いのである。
そう考えてみると、ギャンブルという遊びにおいては、「そこそこ楽しめる勝ち額=生活を脅かす可能性のある投資」となるシーンが往々に存在しても不思議ではない。おそらくだが本来よりギャンブルという遊戯は、健全に遊ぶことなど不可能に出来ているのである。
「感情を押し殺し勝ちや負けにとらわれず、かつ一定の投資額でやめることができる」
一つあなたに質問するが、あなたはこれまで一度でも、そういった人物に遭遇したことがあっただろうか? 私は、一度もない。同時に私は、そういった人物が娯楽としてギャンブルを楽しめているとは思わない。
もしもそういったことができるならば、そういった人は実際には希有の存在であり、「賭博場では殆ど見かけないタイプの人」である。だがこの理屈には一つだけ重大な欠陥がある。
それは、ギャンブルのレートという物を無視している理論だからだ。だからこそ我々は自分たちがギャンブルするフィールド内で、そういった人物に遭遇しないのである。(続く)