呟き方を議論すべき時が来た

2フェイク広告に見る現代社会の歪み

今年に入ってから、ニセダイエット商品のフェイク広告が一斉に摘発された。だがそれまでのWEBサイトは、フォトショップで加工しまくったいわゆる「くびれたウエスト女子」が片手にスマートホンを持っている画像で溢れていた。

なぜかあのようなダイエット系のインチキ広告に用いられる画像は、決まって腰に手を当ててドヤ顔でスマホを見ている女子なのである。これも、現代社会の歪みを見事に反映させている現象といえるだろう。

考えてみれば昔は、呟いてばかりいる人に市民権などなかった。なぜなら、呟くという行為自体に責任が存在しないからである。義務と権利がペアになっているからこそ市民といえるのであって、そのような人に世間が振り向かないのは当然のことだ。

そんな呟きにスポットが当てられ始めたのは最近で、それが講じて株価を呟いたり国境沿いに壁を作ることになったり、一個人が社会復帰できないほど打ちのめされたりしているわけである。

無責任が評価される時代

いってみれば、「無責任そのもの」が評価されたり責められたりしているわけで、これはどう考えても不自然な現象である。だが、呟きが市民権を得ているのは日本だけのことでもない。世界的な流行なのである。

呟きはスマホの普及と共に始まった。スマホは便利だが、多くの社会問題を生んでいる。おそらくだが「呟き」という手法がもたらす弊害も、その一つなのだろう。

私自身偉そうなことは言えないが、最近の若者達は言葉を操ることが苦手である。特に助詞の使い方がおかしい。俗にいう「て に お は が」の使い分けである。それだけにとどまらず、筋道を立てて説明することも不得意だ。だが彼らは、呟くことに限っては長けているようである。

別に「呟き狩り」をするつもりはないが、どうもこの呟きというツールが、好ましくない風潮を蔓延させているように思えてならない。特に感じるのが、独善者ほど呟きツールを活用しているという実態である。

例えば「LINEでやって良いこと 悪いこと」とか、「Twitterで守るべきルール」とか、「インスタグラムを利用する上でのNG集」など、メディアはもっと大々的に使い方についてアピールすべきだろう。そろそろ、呟きについて真剣な議論がなされ始めても良い時期ではないだろうか?

今後も我々は、スマホと共存していくことになるだろう。スマホを利用する限り、呟きとも付き合い続けねばならないのである。

呟き方に対する積極的な議論がなされることにより、今よりは心穏やかに暮らしていけるようになるのではないだろうか。私は密かに、「その時」を期待しているのである。

(奥井 隆 タカビー)