克服は 「断」によってのみ可能となる

2・なぜ「禁」でなく「断」なのか?

さて、既にあなたはお気づきかもしれません。私は「ギャンブルをやめること」を表現するのに「断」を用い、「禁」や「卒」などといった言葉は決して使っていません。

世間では「禁」という言葉が主流です。「禁酒」「禁煙」「禁パチ」と、インターネットで検索して多くの項目がヒットするのは、「断」よりは「禁」だと思います。試しに「禁パチ」と「断パチ」双方を検索して比べてみれば、よくお分かりになるでしょう。ですが我々は敢えて「断」という言葉を選びました。それには理由があります。

知人から教わりましたが、「『禁ずる』というのは人の行動をとどめること。『断つ』は、これまで続いていた物事、関係などを止めて終わりにすること」だそうです。実際に広辞林で調べてみると「禁ずる:(することを)許さない」「断つ:切り離す やむ 禁じ断つ」とありました。

断という言葉の中には、「自らやめる」という潔さがあります。「再び(やる)」や「(やることを)許す」という曖昧さが感じられません。そこには、本人が前向きに取り組むという、心意気が込められているような気がします。

ところが「禁」はどうでしょう? 「禁」という言葉を聞くと、誰かから強制されるという感じがしないでしょうか? しかもなぜか、それに期限まであるような錯覚に陥ります。あなたは昔、母親から「ちゃんと宿題が終わるまで、外出禁止だからね!」などと言われた経験がおありではないでしょうか?

この例では、禁止されている期間は宿題が終わるまでの間です。宿題さえ終われば、「外出が許される」ということでもあります。このように「禁」という言葉は抑制力に乏しく、そこに込められた魂の力が弱いものなのです。

余談ですが、公衆の場でよく見かけるものに「禁煙」の立て札があります。禁煙とは、「この場所で、タバコを吸うことを禁止する」という意味です。もしもそういった場所で「断煙」と書かれていたとしたら、愛煙家からクレームがつくかもしれません。

あなたがギャンブル依存症を克服したければ、人に禁じられて止めるのではなく、自分の意思で断つことが大切です。我々の掲示板でも、本気でやめようと頑張っている方は殆ど「断」という言葉をお使いです。

・ギャンブルは 卒業させてくれない学校である

「禁」以外では「卒業」「脱」という言葉を用いる方もいます。「卒パチ」とか「脱スロ」という感じです。卒業とはいいますが、ギャンブルからの卒業は良い結果を残さない場合が殆どです。なぜならギャンブルの終わりは、往々にして金銭の枯渇や破綻を意味するからです。

またギャンブルとは、いつまで経っても卒業させてくれない学校でもあります。卒業日などないといえるかもしれません。しかも卒業を待っている間に、身を滅ぼしかねません。それと…

たまたま勝ったときなどに、「これだけやれば、十分だろう!」とか「これで、当分やることもないさ…」などと暢気に考えている人が居ますが、とんでもない話です。「とことんやれば、やる気がなくなるだろう」といった、気まぐれな「脱」に期待してもムダです。

勝ち逃げを意識して立ち回るのがギャンブラーですが、そんなことなど絶対にできないというのは、私がこれまで経験してきたことです。ギャンブルの神様は、勝ち逃げなど絶対に許してくれません。

ここは卒業でなく、自主的に退学しましょう。脱ではなく、あなた自身の手で断ち切ってください。「断」とは卒業や「脱」のように年月が過ぎれば訪れるものではなく、自分自身で始めるものなのです。

そしてくどいようですが、断すると決めたなら期限など存在しないということを、よく覚えておいてください。「禁」ではなく「卒」でも「脱」でもなく、あなたはすべからくギャンブルを「断つ」べきなのです…。(続く)