保険屋時代 その6

2パチ屋は 同郷 相まみえる場

最近のように隣国との関係が険悪になってくると分かるが、いかに隣国であったとしても、彼らと我々日本人とではいささか考え方に違いがあるんだな。

例えばあの頃、ボクが通っていたパチ屋では、台に数時間ライターを置いても許される人物と許されない人物とが存在した。許される人物が店長と組んでいる連中の一員なら理解もできるが、そうではなく普通のオバサンであったり爺さんであったりした。

しかしボクや仲間がそれをすると、必ず店員が某かのクレームを付けてくる。「ちゃんと休憩札を入れんかい」と。我々が置いたライターは、すぐに外された。

ボクが、「なぜあの連中だけOKなんだ? なんであいつらは注意しないんだ?」と抗議すると、店員は笑って答えようとしない。当時ボクはその理由が分からなかった。だが今なら分かる。

最近は北側の店が減ったから分からないが、当時のパチ屋はその名称でどちらの国の人が経営しているかを判別できた。例えばホール名に「国際」「観光」という文字が含まれていると、北側の系列だといった塩梅である。そして南北民族の店は混在し、そこでは皆仲良くしていたというハナシである。

同郷相まみえるとはいうが、祖国は分断されていても、そこを離れ日本という国では南北の人たちがパチ屋という業界で、助け合ってお互いの利益を守りながら生きていたわけである。その関係がオーナー・店員と客という間柄であったとしても、見事に意思の統一がなされていたわけだ。

たとえルール違反をしようとも、それが同郷の仲間であったならば見てみないふりをしているというのが、彼らにとってはある意味大切な忠義であり意識だったように感じる。

●●人 他人に厳しい自分に甘い
●●人 他人に甘い自分にも甘い
日本人 他人に厳しい自分にも厳しい

これは、いわゆる「関係者」が笑いながら話したことである。さて、話を元に戻そう。

汚いプロの世界

思えばボクは、実力がものをいう外務社員の世界から逃避しながら、同じような実力の世界であるパチプロに憧れていた。しがらみを持たず自分の腕一本でメシを喰える彼らに、ボクは一抹の不安も待たず傾倒していたのである。

だがそんなボクも、次第にパチプロに失望するようになっていった。なぜなら、パチプロの世界がどれほど汚いものか思い知ることになったからだ。

その店にいたIというプロは店長と組んでいた。そして彼だけ、通常は賞球が7個のフィーバー機を、賞球15個に仕組んでもらっていた。それだけで彼は、毎日日当2万円を手にして帰った。

その店長は暇つぶしに店内の一発台を打つことがあった。気まぐれに座った一発台が大当たりするとIが呼び出され、右打ちして大当たりを消化するのだ。その儲けが店長と折半だということぐらい、店の常連なら誰でも知っていた。あの行為はれっきとした背任である。

先に書いた自称プロのSだが、実際はプロどころかとんでもないイカサマ野郎だった。彼も当時ボクが通っていたパチ屋の店長と組んで抜いていた。

・一発台の放り込み
・高設定台のたらい回し
・コイン隠し

とことんやっていた彼だが、ある日組んでいた店長が姿を消した。それから彼の行動がエスカレートした。それまでのように稼げなくなったからである。そしてそれから数日が経過し、事件が起きたのだ。(続く)