COVID-19が教えてくれたこと

2少なくとも 私は学んだ

コロナウイルスから学んだなどと言えば、世間から顰蹙(ひんしゅく)の目を向けられるかも知れない。だが間違いなく、今回のコロナ禍のおかげで私は学んだことがいくつかあるのだ。

人類の生存理由とは

私自身、一番大きな衝撃を受けたのは、COVID-19の蔓延によって人類という種の生存目的がある程度示されたたことだ。人間がなぜこの惑星上に降り立ち、そして種を育み、今日まで行き続けてきたのか、その理由など誰も知らないことだろう。

少なくとも、人間という種が某かの目的を持って地球上に来たというわけでもないだろう。もしもそうならば、少なくとも末裔である我々人類のうち何名かくらいは、そのことについて知っていてもおかしくないように思う。

では、なぜ人間という生き物はこの地球上に生存するのか? おそらくだが、その答えは2つ存在する。

一つ目は、「人間は原始生物から進化したため、そもそも生存目的など無い」という理論である。つまり人間は今でこそ食物連鎖の頂点に立ってはいるが、長い地球の歴史から見れば地球上の生物の進化における一つの形態であり通過点であるということだ。

この論法からいくと、人間はこの先どうなるか分からず、結果次第では絶滅してしまうことさえ起きうるのである。

二つ目の答えは、人間は特別な存在であるという説である。この論法には、「神」の存在が欠かせない。つまり、人間は万物の霊長として神が創り賜うたとする考えである。全ての宗教がそういった理念に基づくかどうかは別として、この考え方は現世においてかなり強力なものである。

残そうと思うからこそ

人間はなぜ生きるかと問うたとき、そして自分自身にも問いかけてみたとき、これまで全く答えが出なかったことが今回のコロナ禍で明らかになった。その答えの一つが、「残そうという願望」だったのである。

そういったことに理解を寄せられるようになったのも、この私が一定の年齢に到達したからである。間違いないが、ある一定の年齢にならないと入らないスイッチが存在するのだ。

「残そう」などといった崇高なことを考えると、我々はその対象について、えもすれば財産であるとか名誉であるとか、某かプラスの物ばかりを思い浮かべてしまう。だが、よくよく考えてみると、残るのは決してプラスの物ばかりでも無い。もうひとつ言えば、人間が残せるものはその人の願望通りとも限らない。

プラスなら堂々と残せるし、プラスマイナスがゼロに近ければどうでも良いと考えるわけだし、逆にマイナスばかりなら残したくないと考えるのが人情である。ようは、残したいと考えるかどうかは、「残る物」の「程度」の問題なのである。

だが、「進化」という冷徹な使命は違う。マイナスの物は必ずそぎ落とされるというシステムが作用しているのである。なぜなら、生存競争がある世界において、種の存続にとってのマイナスは存在理由がないということに他ならないからだ。

今回のコロナ禍で、少なくとも私は人間の存在理由についてヒントを貰えたと考えている。それは常に前を向いて生きていくことの大切さと、進歩し続けることの崇高さだった。

これまでに何名かの著名人が語られているが、「いつ死んでも構わないように生きる」。これしかないのである。おそらくだが人類が誰かによって生かされていようが、自らの意思で生きていようが、この答えは同一なのである。

COVID-19は、私がこれから生きていくためのヒントを一つ授けてくれたのである。(奥井 隆)