マカオのカジノが新型コロナウイルスのせいで、実質閉鎖状態になっている。マカオ政府がカジノ業者に業務停止命令を出したらしい。
カジノの街は、ゴーストタウンさながらの状況だと聞いた。その経済的な影響は深刻で、平常時に比べ-87パーセントと評価する専門家もいる。
遊戯業・観光業の末路
これまで天災に見舞われたり景気が悪くなったりといった、いわゆる外部や内部からの要因に最も多く影響を受けてきた産業は遊技業と観光業だろう。今回のマカオは、それを最も顕著に示す事例となった。
しかもその影響は大きく復旧の見通しさえ見えていない。当局としては当然のことながら、最初に市民の生活を安定させ復旧させようとする。市民の生活に直接かかわらない業界の保全が一番最後に回されるのは、それらの産業の宿命といえるだろう。
そういった興業というか産業を積極的に取り入れようとする国がある。依存問題が懸念されたり何名もの政治家達がカジノ業者と癒着したりといった問題が山積であるにもかかわらず、そのために国民の血税をつぎ込もうとしている国が存在する。
一体、その国はどこか? 他ならぬこの日本である。
観光国ギリシャに見る亡国の理論
私は何も、コロナウイルスが蔓延してカジノが左まいになったことに対し、「それ見たことか!」と言っているわけではない。そういった娯楽産業に国の命運を託そうとする姿勢に大きな問題があると言いたいのである。
例えば近年、ギリシャでたびたび起きてきた「デモの暴徒化」について考えてみれば良いだろう。2008年には首都アテネで15歳の少年が警官に射殺された事をきっかけにデモが起き、それが各地に広がって暴徒化した。私が知る限りでは、2009年2011年2015年2017年と、かなり頻繁にデモが起き、また各地で暴徒化している。
ギリシャといえば生粋の観光国である。それがこれらの事件をきっかけに徐々に観光客を失い、国際的な信用も落ちた。それこそが「あの国は怖い。観光に行くのはどうか?」といった懸念である。勿論のことだが、経済的な損失は計り知れない。
私がここで言いたいのは、外部からも内部からも大きな影響を受けやすい産業の脆さであり、それを生業とすることに対する違和感である。ギリシャは元々観光資源に恵まれた国である。だからこそこれまで、観光国として多大なインバウンドの恩恵を受けてきた。
しかしながらそういった、いわば「観光の目玉」を人工的に意図的に、カジノといった偽りと金銭欲に糊塗された遊戯に託そうとするのはあまりにも陳腐なアイデアである。あのギリシャでさえ、失敗を繰り返してきた歴史がある。
インバウンドは有り難いものだが、それをあてにしてドップリと浸かると、大きな落とし穴が待ち受けている。
観光立国というのは、リスクが大きい選択肢であり「亡国の理論」なのだ。(奥井 隆)