金欠が底尽きになる理由

2・底尽きは 罪と罰なのか?

「第2章ギャンブル依存症の克服とは」の最後にあたり、今日から2回に渡って「底尽き(そこつき)」について書いてみます。ギャンブル依存症に関して、ちょくちょく「底尽きを経験しないと、やめられないもんだよ・・・」などと言う方を見かけます。

確かにギャンブル依存症関係のサイトや文献で、よく底尽きという言葉を目にしますね。では、ギャンブル依存症における底尽きとは、一体何なのでしょうか? ここでは、我々SAGS における底尽きの解釈も交え書いてみます。

枯渇、借入不能、破産、破綻、崩壊、罰則、気付き、きっかけ、痛み、後悔、喪失、・・・。いろいろな言葉や感情で表現されるのがギャンブル依存症における「底尽き」ですが、本来は「底を突く」が正解です。そもそも底突きという言葉は「底を突く」、つまり貯めていた物が無くなっていき、「容器の底」を桶や匙といった道具で「突く」ことから発祥した言葉だといわれています。

勿論、底突きは物だけでなく金銭においてもよく使われる言葉です。ですが、「尽きる」という言葉自体が「何も残らない 限界まで達した」という意味を持つので、そういった場合に、よりふさわしい「底尽き」が使用されるようになったとも聞きます。尚、余談ですが「底突き」はお金や物だけが対象ですが、「底尽き」はそれ以外に気持ちや感情が限界に達したときにも使われるようです。SAGSでは、底尽きという場合が多いです。

さて、この「底尽き」という言葉の意味についてですが、多くの場合「ギャンブル依存症から立ち直るために必要だった大きな出来事」と解釈されていると思います。それを「ギャンブルに依存した罰」と捉える方もいます。つまり、「ギャンブルし続けた罪に対する罰である」というわけです。そういった方が考えるのは、「罰を与えられなければ、目が覚めない」ということなのでしょう。確かに底尽きは、それを経験する人にとって大きな試練である場合が多いです。

・金欠が底尽きになる理由とは

例えば、借金を繰り返して返済が不能になり、自己破産したことが底尽きだったという方が居ます。家族にウソを重ねた結果、奥さんが子供を連れて実家に帰ってしまったことが底尽きだという方も居ます。

何が底尽きになるかは人それぞれで、それがお金の場合もあれば人間関係という人も居ます。健康を損ねたことが底尽きの人も居ます。ですがギャンブル依存症に限っていうならば、圧倒的に金欠が底尽きである場合が多いようです。ひとことで金欠とはいいますが、殆ど場合、手持ちのお金がなくなるといった程度では済みません。

多くは「多重債務者になり、それ以上借り入れできなくなる」というケースです。つまり自分のお金ばかりか、他人様のお金まで当てにできなくなるといった状況です。いわば、「金策のリミット到達」です。では、そういった金欠が底尽きになる理由とは何でしょうか?

その理由として考えられるのは、依存症ギャンブラーの思考とギャンブル依存症の特徴です。依存症ギャンブラーというものは、先にも書かせていただきましたが、「ギャンブルしない間にのみ、問題解決の方向へと向かえる」のです。つまり、別の言い方をするならば、ギャンブルがストップするための一番手っ取り早い方法とは、ギャンブルするお金がなくなってしまうということなのです。

そしておそらくですが、自らの依存が原因で家族との別れや失職などといった事態を招いてしまったとしても、ギャンブルする資金があるうちは問題を解決できないということです。例えば、次のような話があります。

私の知人は、父が臨終の床にいることを知りながら、ろくに見舞いにも行かずパチンコし続けました。彼の父が他界した日もそうでした。彼は通夜の席でそのことを私に告げ、そんな自分が許せないと男泣きしました。ですがそんな彼は、日明けさえ待たずに葬儀で集まった香典を握りしめてパチンコに通いました。後から聞いた話では、結局半年足らずで全て使い果たしてしまったそうです。

つまり彼にとって、父の死も、良心の呵責(かしゃく)も、パチンコをやめるためには一切役に立たなかったということです。親の死は、長い人生の中で最も厳しい試練といえます。ですが彼について言うならば、それは底尽きとならなかったのです。では、その原因とは何だったのでしょうか? それは、葬儀で頂戴した香典というギャンブル資金だったといえるでしょう。

彼は父の死によって自らの依存を自覚し始めたのですが、皮肉なことに葬儀で集まった香典のせいでパチンコをやめるどころか一層ひどい状況に陥りました。

どういった状況になろうとも、お金があるうちは、なかなかやめることができないということです。金欠が底尽きになることが多い理由は、それがギャンブルというロコモーションにストップをかける最終手段だからなのです。(続く)