営業職とマージャン(ギャンブル依存症と私 その5)

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みんなでやれば怖くない

そう思っているうちに、全員が地獄に落ちているのはよくあることだ。例えば、昨今の違法賭博などがそういった類だろう。これまで大丈夫だとされてきたことが、時代と共にNGになってしまうのだ。

体罰やハラスメント、未成年の飲酒などもそうだ。昨今の風潮がとにかく厳しくなり、それと共に昔の「基準」が甘くなってしまったのである。

今日から話題にする麻雀についてだが、バクチとしての存在感が無くなってしまった、と言っても良いだろう。なぜそうなってしまったのかを含め、このことについては以前の記事で書いているので、参照していただければ幸いである。

麻雀が廃れた理由

営業職とマージャン

ボクが配属された営業所では賭博が盛んだった。特にマージャン 営業マン同士のマージャン、お客との接待マージャン、いろいろとあった。当時営業マンにとってマージャンは、知らなければアホかと言われるほど知っておくべきバクチというか遊興だったといえる。

酒、ゴルフ、マージャン これら3つが接待の3種の神器と言われ、営業マンに必須だった頃の話である。今考えれば、どれも人間を堕落させる要素満載である。

ゴルフと言えど、間違いなくニギリだった。今となっては懐かしいが、「ラスベガス」なんて過激なルールもあった。そして、最後のプッシュ

さてマージャンだが、たいていは3人マージャン、それも1発ウラドラ付き。その1発とドラが1匹1000円だった。

1発でツモってウラが3つ乗れば4000円通し、つまり12000円ナリだ。当時の世相を反映してか、こんなインフレのマージャンだった。

だから一晩で軽く10万ぐらいは動く。それでも平然とボクたちは勝負していた。負けの支払いは給料日 1か月分の給料くらい負けこむ人も少なくなかった。

或る日ののこと、営業所に例の社長から電話が入った。この社長にボクは大層気に入られていた。入社してから、かなり多く受注を貰った得意先である。

お墨付き

「タカビー君、昼飯食ったらすぐに来てくれるか?」電話を貰ったのがお昼前である。ボクは早々に昼食を済ませると社長の下へ向かった。当時の私は24歳、想像だがその社長はおそらく40歳にもなっていなかったように思える。

ボクが着いて挨拶もし終わらないうちに、社長が言った。「お前、マージャンできるっぺ! 今夜一晩、付き合え! 前にも誘ったっぺ」

しばらくしたらメンバーが集まるから、マージャンに付き合えと言う。平日の昼間のことだ。さすがにボクは面くらい、これを断った。

しかしながら、「仕事…!? そんなのどうでもよかっぺ? 何、言ってるべ? じゃ、お前のとこの所長に電話すればよかんべ!」そう言われて所長に電話を入れさせられた。

電話の途中で社長は「代われ!」と言って無理矢理受話器を取り上げ、二言三言(ふたことみこと)話すとすぐに電話を切った。社長は、笑いながらこう言った。

「タカビー君、所長に電話して許してもらったっぺ! 会社のお墨付きなら良かっぺな!」

こうして平日の昼間から、ボクはいとも簡単に所長公認で取引先の社長とマージャンすることになった。

自宅に着くと、社長は早速ボクを応接室に通して言った。「メンバーが足りなくなったっぺ! タカビー君、入って打ってくれるっぺ?」

そしてボクはその場で、そうなったいきさつとそこでのマージャンのルールを教わった。メンバーの一人が、どうしても来られなくなったのだという。

「お前が負けた金は、全部ワシが支払う…。」そう言って社長は懐から帯の付いた束を2つ取り出しボクに手渡した。

「***万ある。足りなくなったら出すから、好きなように勝負していいべ!」「勿論、勝った分はお前が取ればいかっぺ!」

社長は笑いながらそう言った。ボクは、手が震えた。確か、当時のボクの初任給が12万円程度だったと記憶している。ボクは社長に尋ねてみた。「社長、なんでウチの所長を呼ばなかったんです?」

社長は笑いながら答えた。「アレは、いくのが遅かっぺ! 眠くなるなや!」(いくのが遅いとは、自分の順番になった時にモタモタすることである。)

そしてその後、ボクは社長からそこのマージャンのレートを聞いて、卒倒しそうになったのだ。(続く)

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奥井 隆
奥井 隆
2 市民団体 ギャンブル依存症克服支援サイトSAGS 代表
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