魔法の質問が通じないケース

2魔法の質問が通じないのは

家族側からの魔法の質問は、家族としてこれから取るべき行動を知るための「最初の分岐点」として効果のある方法だ。だが、質問以前といったケースも存在するので、今回はそのことについて先に触れてみたい。

例えば、本人が自分の行動に全く問題がないと感じている場合、「金銭管理して良いか?」と聞いたところで「は」と言われて一層関係が悪化するだけだろう。そのような依存症ギャンブラーに対しては、そもそも質問といった行為自体に意味がないのである。

だが、もう一つ厄介なケースがある。家族側に「受け入れる寛容さ」が全く存在しない場合も同様だ。この場合に家族として受け入れるべきこととは、本人の状態であったり、家族側としてやってはならないことであったり、最悪のケースでは本人との決別を覚悟することだったりする。

情報過多の弊害

何か分からないことがあれば、ネットでググる。そうすれば、大抵のことなら分かる世の中である。便利な世の中になったことが理由かどうかは分からないが、相談者さんのレベルが5年くらい前に比べ格段にアップした。こちらがあれこれと説明しなくて、自分が知っている知識やそれまで取ってきた行動などについて、すらすらと答えられる方が多くなった。

一見、相談を受ける側としてはやりやすくなったように見えるが、実はそうでもない。物わかりが良いように見えても、依然として家族側に大きな否認が見え隠れするのである。

そしてそういった方々に共通する傾向は、先にもお話しさせていただいた通り「回答の落としどころ」というか既に自分で答えを決めていて、自分の行動に対する肯定ばかりを求めることである。

私はこういった風潮が、現代社会の情報過多が生み出す弊害では無いかと考えている。これまでに、こちらが質問してもそれには答えず、最初からけんか腰でまくし立てられて、閉口したケースさえあった。

そういった方が相談に来られる目的の一つは、先に述べた「肯定を求める」ということだが、相談で得られた情報の中から「良い所取りをする」ことも目的の一つではないかと感じる。

とにかく知識を詰め込み、理論武装してから相談に赴く。これが、家族側の相談者のトレンドなのである。(続く)