プラスチック排斥運動は 人類の自己満足なのか

2温暖化という 大いなる疑問

今、全世界的に叫ばれていること、それが環境破壊であり地球温暖化である。この問題については近年、国や民族間における思想や紛争・思惑などを超えた人類共通の命題になっているようにさえ感じられる。地球温暖化対策について各国の団結は過去のSF映画ではないが、さしずめ宇宙人が地球を征服しようと責めてきたのと同じような雰囲気が見て取れる。今や温暖化は、全ての人類にとって共通の敵と認識されつつあるのだ。

昨年末にマドリッドで行われたCOP25においても各国に対し、温室効果ガスの排出削減目標をさらに引き上げるように呼びかけが行われた。それに準じて早くも欧米では化石燃料の使用について、単なる削減目標では無く「根絶の具体的年表」までが作成されつつある。

そこで私が感じることが一つ有る。それは、「地球温暖化は本当に進んでいるのか?」という素朴な疑問である。それはさておき、もう一つ疑問に感じることがある。それは、もしも温暖化が進んだとしたら、果たして我々人類や地球の生態にとって最悪の事態が起きうるのかということだ。

なぜ私がこのようなことを考えるのか? 例えば数十年数百年といったスパンで起きる一時的な気温の上昇は過去に何度も起きているし、極端な話、弥生時代の平均気温は今よりも5度近くも高く、そのおかげで日本では稲作が盛んになったとさえ言われているのである。次の一節は「弥生ミュージアム」からの引用である。

今からおよそ6,000年前の縄文時代前期、地球規模の気候温暖化により氷河がとけ、海水面が10m 近く上昇し、海岸線が陸地の奥深く入り込んでいました。縄文時代中期後半以降、気候が寒冷化し海岸線が徐々に後退し始めます。
海岸線の後退に伴って陸地化した場所には沖積平野が形成され、また海が取り残されたところは、干潟や湖となっていきました。縄文時代の終わり頃から弥生時代の初め頃にかけて、こうした海退(海岸線の後退)はさらに進んだと考えられています。海退によって出現した湿地や沖積平野は初期の水田稲作にとって絶好の耕地となりました。

もしもこの記述が本当であるならば、当時起きた地球温暖化は少なくとも我々日本人の進歩と発展に大きく寄与したのである。しかも当時、人類の生活が原因で地球環境に被害が起きたとは考えにくい。

プラスチック削減運動が本気でない理由

見苦しい写真をお見せして申し訳ないが、これは私のデスクの上である。この上に置かれているもの全てにプラスチックが使われている。否、そればかりかプラスチック以外で代用できそうなものが、殆ど見当たらないのである。これは由々しき事態であろう。IMG_7287_R

今の日本ではプラスチック根絶運動が叫ばれ、その手始めとして各店舗で提供しているプラスチックのレジ袋の廃止に向けて国も各企業も大きく舵を切った。

だがこの写真を見てもお分かりのように、我々の身の回りにはプラスチック製品が溢れている。そればかりかその量ときたら、およそレジ袋の比ではない。

先日私は必要な物があって百均SHOPに行く機会があったが、各売り場に置かれてある商品は殆どがプラスチック製品だ。しかも購入した商品を詰め込むのはプラスチックバッグである。こういった状況を見るに、「本当にプラスチック製品を無くすことなど、できるのか?」と疑わざるを得ない。プラスチック製品廃絶が各国で叫ばれはしているものの、どうも人類史上最大のself-satisfaction(自己満足)になるような気がするのである。

「いやそういった製品はさておき、レジ袋やストローなんかはね、使い捨てだからこそ問題があるんですよ」と説明をする方もいらっしゃるが、胡散臭く感じるのはこの私だけだろうか?(続く)