消費者も本気ではないレジ袋削減運動

2本気になっていないのは消費者も同じ

さて前回の記事で私は、「昨今のプラスチック排斥運動は どうも本気でない」と書いた。それには根拠がある。

その根拠の一つといえるのが、エコエコと叫びながらも自らの生活を変えようとしない消費者の存在だ。地域にもよるだろうけれど、買い物時にエコバッグやエコバスケットを持参している人が少ない。私が住んでいる大阪に至っては、マイバッグ所持者は買い物客のせいぜい5パーセントくらいではないだろうか。

もっともこれは詳しい統計を取っていないから、断言できない。私の感覚である。ちなみに私の家の場合、スーパーでのエコバスケットの利用率は100パーセントである。

しかもレジ袋削減については、もっと大きな問題が存在する。レジ袋が無くては販売が難しいと思われる商品が多すぎるのである。

例えば、コンビニのおでんなんかはどうだろうか? 通常ならば、発泡スチロールの器におでんが汁ごと入っていて、それをレジ袋に入れてという流れになるだろう。レジ袋が無ければ、客は直接器を手に持って帰るしかない。はっきりいって、不便この上ないと思われる。

墓参用に販売している切り花などもそうだ。何しろ花は水が命だから、ラッピングは紙では無くビニールが原則だろう。

レジ袋に頼り切っている消費者と「どうにもならない商品」のおかげで、脱レジ袋はお先真っ暗ではないのか。ここで私が言いたいのは、本気になっていないのは消費者も同じだということだ。

堕落を招いたサービスがレジ袋

自分自身で使ってみて感じるのだが、マイバッグはとても便利である。環境云々という以前に、時間短縮になるし購入した商品をレジ袋に移し替える時に生じる「傷み」が少ない。

特にエコバスケットについては、あんなに有り難いものはない。車で買い物に行くときは、必ず持参している。わが家では自転車で買い物に行く機会が少ないが、大きなカゴが付いている自転車なら利用することも可能だ。

これまでの食品スーパーの歴史を調べると、最初は買い物客が持参した買い物カゴに商品を詰め替えていたという記録があった。それこそ、買い物カゴ・風呂敷の歴史である。昔は、商品を持ち帰る袋やカゴを消費者が持参したのである。

YAHOO知恵袋に面白い質問と回答が載っていたので、引用抜粋する。

Q レジ袋が無かった時代。どうしてたでしょうか?

A スーパーも少なく、コンビニも無かった時代です。コメは米屋さん、酒は酒屋さん。野菜は野菜屋さんというように専門店で別々に買っていました。当時 男は ほとんど買い物に行くことは無く、奥さんとか娘さんが 買い物かごを持って買い物していました。豆腐は豆腐屋さんが自転車で売って回り、鍋をもって買っていました。魚は漁師の奥さんが両手天秤かごを担いで売って回り、新聞紙に包んで売っていました。あ!そうだ。醤油屋さんには空の一升瓶を持って行った事もありました。酒屋さんで瓶コーラを売っていた事もありました。コーラの空瓶は5円、空のビール瓶は10円で買い取ってくれましたので、子供の小遣い銭稼ぎで集めて回ったこともありました。そういう時代でした。

そんな時代が過ぎ、今のレジ袋が出現したわけだが、私はここで一つ疑問に思うのだ。「レジ袋の出現は、果たして消費者の生活を快適にしたのだろうか?」と。

レジ袋が普及し、確かに買い物カゴや風呂敷などを持参しなくても買い物できるようにはなった。だがレジ袋は、当時不可欠なサービスだったのだろうか? 私は本気のサービスでは無く、「大して便利でない割に、消費者の堕落を招いたポンコツのサービス」ではなかったかと感じるのである。そしてそのツケが今日、大きな環境問題として取り上げられるようになったわけだ。(続く)